メットライフ生命「#老後を変える」編集部 2019.6.28この記事の所要時間:約9分

 

夢は、すぐには叶わないものだから、夢というのかもしれません。高くて厳しい壁が立ちはだかり、どうにも前に進めないこともあります。そうしたときも、ピンチこそ好転の足掛かりと捉える発想力や、自分を信じて困難を突破する力があれば、道を切り拓けることがあります。今回は、女性土木エンジニアの先駆者として数々の困難を乗り越えてきた阿部玲子さんに、自らの力で道を切り拓いていく大切さを伺いました。

土木専攻科で初の女子学生に

今回お話を伺った阿部玲子さんは、現在インドで活躍するトンネル工事のエキスパート。かつて土木業界では、女性がトンネル工事の現場で働くことが難しいとされていましたが、それでも「男性だったらよかった」と思わずに、「女性だからこそ歩める道がある」と、前向きに自ら道を開拓してきた阿部さんの今までの足跡に迫ります。

「なぜ大学で土木工学を選んだか? 試験科目に苦手な英語がなかったからですよ」と笑う阿部さんの起伏に富んだ人生は、大学入学直後から始まります。当時は土木工学科に入学する女子学生の前例がなく、大学側も戸惑ったそうです。

「まず、校舎に女子トイレがない状態でした。大学側から『来年度の予算でつくるから待ってほしい』と言われましたが『トイレは1年間待てません』と訴えて、工事用の仮設トイレを設置していただきました。大学時代は周囲の人たちが気を遣ってくれたので、性別を意識することなく、伸びやかに学べました」

そんな阿部さんが初めて壁を感じたのは、建設会社の総合職を目指して就職活動を始めた時でした。当時の建設会社の多くは、女性の総合職を求めておらず、同級生が次々と内定を決めていく中、阿部さんは入社試験さえ受けさせてもらえない状況でした。

しかし、そのことで誰よりも憤慨したのは、阿部さんの担当教授です。かつての教え子が勤めている大手建設会社に出向くと、総合職としての採用の機会を与えるように直談判する力の入れようでした。阿部さんの進路先が、これから入学する女子学生たちの指標となるように――そんな担当教授の想いと尽力の後押しがあって、阿部さんはその会社に総合職として入社することができました。

自分にしかない“プラスアルファ”の強みを作るために

しかし、晴れて建設会社に入社した阿部さんに、再び壁が立ちはだかります。それは、土木工学の一部であるトンネル工学を専攻した身でありながら、自分がトンネルに入れないということでした。「女性が山に入ると、山の神が怒って事故が起きる」という昔からの言い伝えが、当時の業界内では根強く信じられていたそうです。その考えに愕然としながらも、阿部さんは地下構造物の解析計算をはじめとした、トンネルに入らずともできる仕事を精力的にこなしていきました。

ところが、バブル崩壊とともに建築業界でも状況が一変します。その時点で同期120人のうち現場経験を積んでいなかったのは阿部さんただ1人。土木工学は“経験工学”とも呼ばれ、とにかく経験を積まないと相手にされない世界。阿部さんは真っ先にリストラの対象となりうる不利な状況に追い込まれました。

これまでの経験を語る阿部さん これまでの経験を語る阿部さん

この時、阿部さんは直属の上司から「現場経験の代わりに、自分にしかない強みを持ちなさい」というアドバイスを受け、会社の海外留学制度に着目。採用試験に挑みましたが、やはり英語が苦手で予備試験で最低点を叩き出してしまいました。それでも「5分でいいので話を聞いてほしい」と訴え、面接のチャンスを獲得。誰よりも熱いその思いが会社に伝わって、多くの留学希望者がいたにもかかわらず、阿部さんは採用されました。

そうして晴れてノルウェー工科大学に留学した阿部さん。しかし、最初の頃は授業の内容がほとんど聞き取れず、クラスメイトから馬鹿にされたりなど、苦労が続きました。

「板書は理解できても、コミュニケーションが取れませんでした。この苦痛は想像以上で、日本行きのパスポートを握りしめて衝動的に飛行機に飛び乗ったこともあります。しかし、そのとき大学の恩師や会社の上司など、周囲に無理を通してでも、私を後押ししてくださった方々の顔が頭をよぎったのです」

ここで踏ん張らなければと、阿部さんは勉強を続け、言葉の壁を越えることができました。すると、クラスにも次第に溶け込めるようになったそうです。

 「海外ではプレゼンテーションができない人はマネージャーにはなれない、と言われます。英語は特技ではなく、内容を正確に伝えるための手段だと思っています」と、阿部さんは自身の経験を踏まえてコミュニケーションの大切さを強調しました。

「どれだけ苦しいときでも負けることなく」という母と祖母の教え

帰国後は阿部さんの留学経験が生きてきます。女性で初めて台湾新幹線のトンネル工事を担当し、それ以降も海外事業の主戦力として着々と力を伸ばして、活躍の場が世界に移りました。しかし、またも阿部さんに壁が立ちはだかります。右肩下がりの景気のあおりを受けて、会社が海外事業縮小の方針を打ち出したのです。

海外事業部の社員たちが次々と日本に戻されていく中、阿部さんの居場所も失われ、ついにはリストラを言い渡されました。そんな阿部さんに「ここで一緒に働かないか?」と手を差し伸べたのは、付き合いのあった大学の先輩。その先輩が働いていた会社が、現在勤める建設コンサルタント会社の前身となりました。

「あの時も周囲の人たちに救われました。このリストラが自分の失敗に起因していたのであれば、諦めていたかもしれませんが、そうではありませんでした。だからこそ、周囲の人たちに助けを求めることができたのだと思います。自分で選んだ道だからこそ、どんな壁に当たっても、やりたいことをまっすぐ突き詰める力が湧いてきたのだと思います」

いつも前向きな気持ちを保ち続けている阿部さん。自分の性格を「負けず嫌い」と表現します。この性格は生まれながらのもので、お母さまもお祖母さまも同じような気質だそうです。

阿部さんが幼い頃、お父さまの会社が倒産し、そこからお母さまが一念発起して小学校の先生になり、一家を支えたそうです。家族一丸となってこのピンチを乗り越えているとき、お祖母さまが「(困難が重なって)前後左右が囲まれていても、上はあいているんだよ」と、お母さまを励まされました。阿部さんはその言葉を胸に刻み、「どれだけ苦しいときでも抜け道は絶対にある」と今も仕事を続けています。

「私の場合は上に行かず、下に掘ったんですけどね」と言いながら周囲を和ませてくれる阿部さん。その笑顔には、お母さまとお祖母さまから受け継いだ気質も垣間見えました。

日本を持ち込まず、日本を忘れず

そんな気質と持ち前の明るさを生かして新しい会社で働き始めると「インドのデリー・メトロ事業のトンネルエンジニアにならないか?」と声をかけられました。早速審査を受けるために、経歴をまとめました。インドのその出向先に提出する履歴書には、性別を書くことも、写真を載せる必要もありませんでした。しかし、経歴のみで審査を通過し、現地に現れた阿部さんを見て「女性が来たぞ!」と周囲はざわめきました。

「その後、アーメダバードでメトロ建設のプロジェクトマネージャーとして呼ばれた時も、『ボスが女性で、大丈夫なのか?』と不安を口にする人達が大勢いました。そんな中、『マダム阿部は大丈夫』と周囲を説得してくれたのは、デリーで一緒に仕事をしてきたインド人エンジニアでした」と阿部さんは当時を振り返ります。これまで阿部さんの人柄や努力を見てきた仲間たちの助けもあり、無事にクライアントにも職場にもプロジェクトマネージャーとして受け入れられたそうです。

インドで活躍する阿部さん インドで活躍する阿部さん

阿部さんは現在、インドで鉄道のトンネル事業に携わり、質の高い日本の技術を現場で伝えています。そして、阿部さん自身も机上では学べない、さまざまな経験を積んでいると話します。

ある時、阿部さんは現場に水たまりができているのを見つけました。そこで、その場にいた作業員に「水を排出しておいてください」と指示をしたそうです。再び現場に行くと、なんと彼は自分のヘルメットで水をすくい、一人で捨て続けていたのです。

「責任者に伝えて、複数人で作業するようにすればいいのに」と私たち日本人は思いがちですが、インドの一部地域ではいまだに人々の間には階級意識が残っていて、職場においても部下が上司にものを言ってはいけない、という風習が根強く残っている場合があります。その作業員も阿部さんの指示を責任者に伝えることができず、自分ができる範囲のことを一生懸命していたのです。

「これは私の失態です。現場を動かせるマネージャーに伝えるべきでした。こういった経験を生かして、今、日本人の部下に伝えているのは“日本の習慣や考え方を持ち込まないこと”。そして同時に“日本を忘れないこと”です」

インドの風習を受け入れつつも、むやみには迎合せず、まず指揮する日本人こそが「日本人が指揮・監督する」ことをきちんと自覚することが重要、と阿部さんは言います。そして指揮する日本人が、インドの人々に日本の良い習慣や考え方を身をもって示すことも、仕事の一環であると考えています。

私が切り拓いた道を、次の世代が歩むために

女性がトンネルエンジニアになって海外で法人代表を務める、というのは極めて珍しい職歴です。目の前のことに一生懸命向き合うことの連続こそが、自分の人生を築き上げてきたと、阿部さんは話します。

さらに彼女は、ひとつ心に決めていることがあるそうです。それは「仕事をする上でNOは言わない」ということ。

「時代的なこともありますが、これまで私が身を置いてきたのは、選択肢が多いとはいえない環境でした。みんなが避けようとすることをYESと言って引き受け続けることで、チャンスを掴んできました。そして気付いたのは、女性である、ということは、チャンスに転換できるということです。もし男性だったら、私のやってきたことはこれほどの付加価値を生み出せなかったかもしれません」

男女が分け隔てなく、思う存分に働ける社会にするために、阿部さんは全身全霊でその道を切り拓いてきました。そしてこれからは、次の世代に“伝える”ことを使命にしたいと言います。

その一例として、バンガロールにあるインド科学大学で“マダム阿部の講義をしてほしい”という依頼があったときのことを話してくれました。

阿部さんは当初「日本の土木技術を教えて欲しい」という依頼なのかと思ったそうですが、実際は「女性土木エンジニアの先駆者として、お話を聞きたい」という内容の依頼だったとのこと。インドの土木分野はまだまだ女性が働きにくい状況で、メトロ建設のプロジェクトチームに入ることを家庭から反対される場合もあるそうです。その価値観を今すぐ変えるのは難しいとしても、10年後、20年後には変えていきたいと願う人々がインドには数多くいると阿部さんは語ります。

「私は、女性が土木エンジニアとして働くための道を切り拓いてきました。そしてこれからは、“子どもを産み、育て、働く”という新しい側面を創る人たちが必要です。そういう後輩たちが活躍できるように、これからも私は全力でサポートします」

人生100年時代に突入した現代において、まだ人生の模範となるような見本が少ない中、阿部さんは自身で道を拓いてきました。あきらめることなく何年もかけて経験を積み重ねていくことで、ようやく拓ける道もあるということを阿部さんは教えてくれます。

「土木は、世界最古の職業と言われています。今を生きる私たちは、先人たちが積み重ねてきた技術を受け継ぐことはもちろんですが、その上にもうひとつ積み重ねて、次の世代に渡す責任があると思っています」。その一端を担うべく、阿部さんは次の世代に渡すバトンを片手に、今日も走り続けています。

阿部玲子さん

<阿部玲子さんプロフィール>
土木コンサルタント。大学では土木工学を学び、専門はトンネル工学。卒業後は大手建設会社に就職するが、日本では「女性が山に入ると山の神が怒って事故が起きる」との理由で、現場へは入ることができずデスクワークをしながら7年間従事。しかしそのことでめげることなく、海外に新天地を求めノルウェーに留学。帰国後に留学経験を活かし、現在拠点としているインドを始め、世界各国での鉄道プロジェクトに携わっている。

 

*記載の情報は2019年6月28日時点のものです
*取材対象者のコメント、内容は個人の見解であり、当社の公式見解ではありません。
また、その正確性を当社が保証するものでもありません。

 

 
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