病に負けない心を。今、健康な人に伝えたい大切なこと

写真家 幡野広志が伝える、自分自身で選択する生き方

メットライフ生命「#老後を変える」編集部 2019.12.26この記事の所要時間:約6分

 

2017年、写真家の幡野広志さんは「多発性骨髄腫」という血液のがんを発症しました。多発性骨髄腫は、骨髄で作られ、抗体を作る形質細胞ががん化してしまう病気です。診断が下された時、医師からは「多発性骨髄腫全体の余命中央値は3年(※1)」であると告げられました。幡野さんは現在、病気と闘いながらブログやSNSでの情報発信を積極的にしています。そんな幡野さんに「今、健康な人に伝えたいことは何か?」をお聞きしました。

幡野広志さん

心身ともに追い詰められた多発性骨髄腫

写真家としての仕事、ブログやSNSでの人生相談、書籍の執筆と多忙な毎日を送る幡野さん。「仕事量で言ったら、健康な時より、むしろ増えたんじゃないかな」と穏やかな表情で語ります。がっしりとした体格、髭をたくわえたワイルドな風貌は、自然と家族、狩猟を愛する写真家のイメージそのもので、今この瞬間、重い病気と闘っているようにはとても見えません。

多発性骨髄腫の診断を受けた時、幡野さんは34歳でした。腰に痛みを感じ、最初はぎっくり腰かと思いましたが、その激痛の原因は実はがんによるものだったのです。それから診断結果が出るまでの約2カ月間、痛みの原因がはっきりしない状況が続いて、最もつらい期間だったといいます。

診断が下されてわかったのは、背骨の中にできた腫瘍が神経を圧迫し、激痛を引き起こしていたということでした。一時期は下半身が麻痺し、車いすでの生活を強いられることに。最も苦しかったときには仰向けになることすらできず、ソファの中でうずくまりながら気絶するように眠る毎日。一瞬眠ってもすぐに激痛によって目が覚めてしまい、痛みと睡眠不足による肉体的なダメージが蓄積、さらに「自分はがんだ」という精神的ダメージによって心身ともに追い詰められました。

インタビュー中、当時の状況を振り返りながら「まだ残ってるんじゃないかな」と言って、幡野さんが財布から取り出したのは、一錠の鎮痛剤。「放射線治療を受けてから痛みはなくなり、今はもう必要ありませんが、お守りとして残しておいたんです。これがなかったら、自ら命を絶っていたでしょうね」淡々と語る口調、穏やかな眼差しの中にも、当時の苦しくつらい記憶が伝わってきます。

再び生きる気力を与えてくれたこれまでの生き方

血液のがんの一種であることがわかった後も、しばらく正式な病名はわかりませんでした。同じ血液のがんの中にも、治療によってがんが寛解するものも存在します。一方で、なかなか寛解に至りづらいタイプも。鎮痛剤で痛みが和らぐようになり、自分や家族の今後をようやく考えられるようになってきたところで、寛解に至りづらいタイプの血液のがんである、多発性骨髄腫と宣告されたのです。わずかに生まれた希望の芽を摘まれたかのように感じたと言います。そうした厳しい状況の中で、再び生きることに希望を見出すことができたのはなぜでしょうか?

「ドラマや映画などではよく、家族の温かい言葉で助けられた、というようなシーンがありますが、現実はそんなに甘いものではありません。むしろ家族や親族、友人の言葉によって追い詰められてしまう方が多いんです。私自身もそうでしたし、同じような境遇を抱える患者さんと話しても、みなさんそう感じていました。例えば『どうしてもっと早く病気だとわからなかったのだろうね』や、やや冗談まじりに『生活習慣が悪かったせいじゃないか』といった言葉ですね。すでに病気になって苦しんでいる人に、そうした言葉をかけても決して救われない。どんなに仲の良い家族でも、健康な人に患者の気持ちはわからない。残念ながら、そこには絶対に理解し合えない壁があるのです」

緩和ケアの医師や放射線などがん治療に携わる医師、精神科医とのカウンセリング、患者同士の会話などを通じ、少しずつ人生の励みとなる糸口をつかんでいった幡野さん。最後は、自分自身の力で立ち上がるしかなかった、と語ります。

「いつか死んでしまうかもしれないけれど、その時期はたぶん今日や明日ではない。それなら、今やりたいこと、好きなことだけをして、目的地を目指そうと。自動車で例えるなら、残っている燃料は少ないかもしれないけれど、普通に走れる状態。ただし、途中で燃料を補給できないから、途中で寄り道したり、燃費の悪い道を走ったりしている余裕はない。だから余計なことを全部やめて、ただ真っ直ぐに目的地へと向かおうと決めたんです」

痛くて眠れない日々が続いていただけに、考える時間は十二分にあったと、その心境に至った経緯を振り返ります。幡野さんが見定めた目的地は、家族との時間を大切にすること。そして患者たちの声を代弁し、病気になったからこそわかったことを社会に発信していくことでした。苦境の中でも前向きな気持ちになれる、そうしたメンタリティは病気になったからではなく、病気になる前の人生から続いてきたものだと語ります。

「病気になったから『はい、今から好きなように生きましょう』と思ってもできるものではありません。僕自身は、健康な時から好きなように生きてきて、嫌な仕事は断るなど、普段から自分の意志を貫いていました。病気になった後の生活においては、それまでどのように考え、どのように生きてきたかが問われてくる。今そう感じています」

幡野さんが数多くの患者さんと語り合う中で気付いたのは「自由に生きていい」「余計なストレスからは遠ざかった方がいい」と頭でわかっていても「一歩を踏み出せない」「はっきりと声に出して言えない」という人があまりに多いという現実。

選択や決断をしない人生を送ってくると、いざ、その時が来ても行動できません。病気になって収入がなくなり、家族に迷惑をかけているという意識があるならなおさらでしょう。患者目線からの幡野さんの言葉は、病気と闘う多くの人たちから共感を呼び、彼らを支える医療業界にも気付きを与えました。

幡野広志さん

自分自身で考え、生き方を選択することのできる大人に

フリーランスの仕事ということもあり、家族を支えていく経済基盤については常に考えてきた幡野さん。生命保険についても以前から関心を持ち、手厚い保障内容のものに加入していたといいます。また、家族にお金そのものをのこすだけでなく、家族がお金を自ら考えて生かしていけるようにすることも、病気になってから考えた重要なテーマでした。

「家族にお金をのこすことも大事なのでしょうけれど、自分の子どもには今、もっと大切なことを伝えたい。それはお金の使い方と集め方です。息子はまだ3歳ですが、例えば朝ごはんのメニューにしても、今日着ていく服にしても、親が選ぶのではなく、子ども自身に選ばせるようにしています。先日は買い物に行って『何か好きなお菓子を一つ選んでいいよ』と言ったら、スナック菓子が十数個もパックになっているのを選んできて笑いました。それでも彼が自分で(与えられた条件の中で有効な使い道を考えて)決めたものなら否定しない。お金をいくらのこしても、(子ども達自身が)何に使うべきかわかりません、では意味がないですから」

子どもが自分自身で考え、生き方を選択することのできる大人に。幡野さんの教育方針は、そうした理念に基づいたものです。

幡野さんはSNSを通じて自身のメッセージを多くの人へ向けて発信しています。発信を続けるうちに次第に相談が寄せられるようになり、今では毎日100件近くもの相談が寄せられているとのこと。病気に関することはもちろん、教育、道徳観、人間関係まで悩みごとの内容はさまざまです。幡野さんはそうした一件一件の相談に対して、「将来、大人になった自分の子どもから悩みを打ち明けられている」と想定して返信しているそうです。偽りがなく、飾らない言葉が人々の救いになっています。「発信力、影響力を得た今だからこそ、正しいと思えることを伝えていきたい」と語る幡野さん。その眼差しは今の子ども達が大人になった時の未来の社会に向けられていました。

幡野広志さん

<幡野広志さんプロフィール>
1983年東京生まれ。写真家。元狩猟家。2004年に日本写真芸術専門学校中退後、2010年に広告写真家・高崎勉氏に師事し、作品「海上遺跡」で「Nikon Juna21」を受賞する。2011年カメラマンとして独立し、同年に結婚。2012年には自身の結婚式の様子を収めた写真で「エプソンフォトグランプリ」入賞に輝く。2016年長男が誕生。翌2017年、10万に5人の割合で発症するという多発性骨髄腫の診断を受ける。余命3年と宣告された今、自身の病気と闘いながら、SNSなどを通じて多くの人々の相談に向き合い、自分で考える生き方の大切さを伝え続けている。

著書に『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』(PHP研究所)『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』(ポプラ社)などがある。

 

※1 「国立研究開発法人国立がん研究センター」によると、発症後の5年生存率は36.4%
出典:「がんの統計 '18」国立研究開発法人国立がん研究センター がん対策情報センター

*記載の情報は2019年8月14日時点のものです。
*取材対象者のコメント、内容は個人の見解であり、当社の公式見解ではありません。

 

 
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